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小学校での断固たる行動により津波で90人の命が救われた

宮城県3月11日(日本のニュース) – 13年前の3月10日、翌日に災害が起こるとは誰も知りませんでした。 それでも、ある小学校では地震の発生を警告する集会が開かれ、児童90人の命が救われた。

小学校を津波が襲う:前日の行動で90人の命が救われた

渡辺るみ子アナウンサー「ここには津波で落ちた物がそのまま残っています。そして、2階の屋根付近まで津波が到達しているのが分かります。いたるところに災害の痕跡が残っています。」

「震災遺構」として保護されている宮城県山元町の中浜小学校に10日、全国から多くの人が訪れた。

群馬県からのお客様:「この地域に用事があったので、現地に行く機会があり、現地の様子を体験してきました。」

17歳:「ひどかったですね、津波。」

12歳:「すごく大変だったね。」

宮城県白石市からの来場者「この子は震災の時に生まれたわけではない。当時は理解できなかったが、こんな出来事があったことを覚えていてほしい」

2011年3月11日、約400メートル離れた海から押し寄せた大津波が中浜小学校を襲った。

「大きな建物は原形を保っていますが、周囲の家々や道路は完全に水没しています。」

津波は2階建ての建物の屋上まで到達したが、発災前日の行動のおかげで児童と教職員90人全員が無事だった。

当時の校長、井上武氏が重要な役割を果たした。

渡辺アナウンサー「流木が流れ着いています。」

井上・元中浜小学校校長「海岸に生えている松の木だと思います」

渡辺「机も椅子も靴箱もここにあるよ…」

井上:「ここは校舎を襲った瓦礫とさまざまな津波が融合した場所なんです」

2階には津波の跡がはっきりと残っています。

井上「波が壁に当たって真上に飛び、屋根が崩壊しました。2階は完全に水没しました。もしそこに人がいたら助からなかったでしょう。」

当日、同校には児童や教職員、地域住民ら90人が来校した。 井上はみんなを屋上に連れていくことにした。

井上「あの日の決断はマニュアル通りではなかった。大事なのは普段からの準備で、いろいろな要素が重なって天井まで行ってしまった」

これは発災前の中浜小学校の「避難マニュアル」だった。 津波が発生した場合は内陸の中学校に避難すると書かれている。 3月9日に三陸沖を襲った地震の影響で、井上さんはマヌエルさんとは異なる決断を下した。

これを受けて3月10日、井上と教頭が「避難マニュアル」を見直した。 内陸の中学校までは徒歩で20分以上かかるというメモを読み、避難が間に合わない可能性も考えた。

井上「安全な場所にたどり着くまでに20分かかるということを知っておいてください。津波の場合、急に来て時間がなければ2階に行き、時間があれば中に行きます。」 行きましょう。 」

井上さんらは「津波到達時間」を基に避難先を柔軟に決定することにし、職員間で情報を共有した。

また、3月10日には全校で臨時朝会を開催し、子どもたちに演説した。

井上「9日の地震の後、防災頭巾をかぶっていない子がいたので、『また大きな地震が起こるかもしれないから、防災頭巾をかぶろう』と言いました。 子どもたちは熱心に聞き続けていました。」

そして迎えた3月11日、あの災害の日。

大地震の直後、大津波警報が発令され、「到達予想時刻」は「10分後」となった。 井上はすぐに屋上へ行くことにした。 職員と児童の間に混乱はなく、避難はスムーズに完了した。 自衛隊により無事救出された。 井上さんは震災前日を振り返り、こう強調した。

井上「会議、時間の目安、その場しのぎの朝礼、みんなで情報を共有して危機感を高める。小さな準備の積み重ねがとても大切です。」

校長が教えたい「地震は1分後に起きる」

屋上に逃げて無事だった児童の1人、当時6年生だった鈴木敏則さん。 その日、子どもたちは屋上の屋根裏収納庫で一夜を過ごした。

質問: その時あなたはどこにいましたか?

元小学6年生の鈴木さん(25)「私はこの青い箱の隣にいました。今思うと、この屋上に走らずに歩いて避難していたらどうなっていただろうか。」

東日本大震災から13年が経ちました。

質問:鈴木さん、家はどこにありましたか?

鈴木「ここは今温室が建っている側なんです。昔はこの一帯はほとんど住宅だったんですが、本当に荒れていますね。」

山本市では、震災以降、人口流出と移住が深刻になっています。 市内に残り漁師の道を選んだ鈴木さんは、本格的に発展した地域の活性化を支援したいと考えている。

鈴木「私はあの津波で生き残ったので、新しいことに挑戦していきたいです。自分が釣った魚をたくさんの人に食べてもらいたいし、漁師が減っていく中、漁師になりたいと思う人が増えてほしいです」漁師たちよ。」

今年は元旦に石川県能登半島付近で最大震度7の地震が発生した。 2月下旬以降、千葉県沖の地震活動が活発化しており、さらなる備えが必要となっている。

井上「この校舎には大きな津波が4回も通過しました…」

イノウエさんは引退後、語り部となり、全国から訪れる来場者に「事前の準備」の大切さを伝え続けた。

イノウエ「災害への備えは、起こってからやっていれば備えではありません。大地震は今から1分後に起こるかわかりません。」

ソース: アン

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